3年度に渡って行われている「薬師尊木造日光月光菩薩立像・木造十二神将立像修繕事業」にて、2024年3月末に修復が完了する「木造十二神将立像(辰巳午未4躰)」を含めた薬師尊の公開が開催されます。
南須釜の念仏踊りと同時開催ですので、ぜひ立ち寄ってみてください。
東福寺の薬師堂とは?
薬師堂内には、秘佛の「日本三所薬師三尊」及び眷属(けんぞく)の十二神将が安置されています。
大寺薬師の伝説に、平城帝の大同2年(807年)僧空海が真言普及のため、奥羽地方を巡った際に、会津新橋の里で1本の木で薬師三体を刻んだが、元木で刻んだ像を新橋の里に安置し、これを新橋(にっぱし)元木の薬師と呼びました。
中木で刻んだ像を石亀の里に安置して、中野大寺中木と称しました。
また、浦木で刻んだ像は、美濃国可児(かに)の里に安置し、可児大寺浦木の薬師と名付けました。
地方の人々はこの三薬師を日本三所の薬師と呼ぶと受け継がれています。
東福寺の伝えによると、弘仁元年(810年)徳一上人が現在の石川町字中町に「中町大寺中木薬師」を創建したのが始まりで、大寺城主第13第大寺安芸守光義が文案3年(1446年)に現在地に移建しました。
東福寺にある薬師如来
東福寺にある薬師如来は、どれも福島県重要文化財指定になっています。
- 「木彫一木 造薬師如来立像」(四尺二寸)、鎌倉時代の弘法大師作
- 「脇侍 日光・月光両菩薩 木彫立像」(三尺三寸)、室町時代の春日作
- 「眷属 十二神将」(二尺一寸)、同人作
木彫一木 造薬師如来立像
肉髺(にっけい)や髪際の造形や耳の造形、左肩に衲衣(のうえ)の端をかける造形から13世紀半ば(鎌倉時代中期)の製作と考えられています。
カヤ材の一本造りで、頭体幹部を足柄を含む一材より、彫出し、両肩から袖の材を角柄二本で寄せています。
特異な構造技法から、一日造立仏のように短期間で製作された御像であると考えられているそうです。
木造十二神将立像
木造十二神将立像は顔の中心に顔の造作が集まる造形や、甲冑、金具などの表現、ヒノキ材の一木割矧ぎ造り、彫眼、足先までも一材に込めるなど、平安時代を思わせる造形表現と構造技法を持っています。
また、すべての像で裳を別材で寄せる、寅神将には、玉眼を試みながら使用していない、などの鎌倉時代に入るかという構造技法を持っていることから、十二神将の製作年代は、平安時代後期から鎌倉初期の過渡期の製作と考えられています。
卯神将像だけは、永正十七年(1520年)に作り足されたのが、像内の銘文からわかりました。
木造日光・月光菩薩立像は、造形様式から15世紀の室町時代の製作と推定されるそうです。
薬師尊菩薩像・十二神将が公開の概要
- 住所:〒963-6302 福島県石川郡玉川村南須釜久保宿70
(東福寺境内) - 電話番号:0247-57-2180
- 営業時間:10:00~11:45
【まとめ】【玉川村南須釜】東福寺にて薬師尊菩薩像・十二神将が公開されます
東福寺で行われる薬師尊菩薩像・十二神将の公開についてまとめました。
当日はマスク着用をお願いしていますので、お越しの際はお忘れなく!
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