福島県玉川村に伝わる平鍬踊りとは?どんな踊り?内容や参加方法を徹底解説

お祭り

福島県石川郡に含まれる玉川村では、豊作に感謝して氏神様に奉納する踊り「ひらくわ(平鍬踊り)」が盛んに行われていました。

この記事では、「平鍬踊り(ひらくわおどり)」について詳しく解説していきます!

平鍬踊り(ひらくわおどり)とは?

「平鍬踊り(ひらくわおどり)」は豊作に感謝して村内の鎮守神社に奉納される踊りです。もともと玉川村一帯に存在した民俗芸能だったのですが、現在では南須釜・山小屋・北須釜地区、小高地区で受け継がれています。

平鍬踊りはいつ開催されているのか?

現在、「平鍬踊り」はに行われており、大雷神社では「浦安の舞」とともに10月上旬ごろ行われます。

平鍬踊りはどんな踊り?

「平鍬踊り」はチャンチャン・トロリーと笛や太鼓の獅子に合わせ、笠鉾を先頭に円陣を組み、威勢の良い掛け声で踊ります。歌は、10曲ほどあります。(竜崎地区)

宮登り
岡崎
七つ金
弓引
散し金 など

衣装は女性の長襦袢に白い股引、白たび、白い緒の麻うら草履をはき、手甲をつけます。笠鉾は脚絆にわらじをつけます。(北須釜地区)  

平鍬踊りの歴史

竜崎地区に伝わる「平鍬踊り」は、鎌倉時代文保2年に臥龍城主・小林但馬守が鎌倉鶴岡八幡宮より若宮八幡を歓請した時に「獅子舞」と共に奉納したのが始まりとされています。

一方、小高地区では、大雷神社に残された記録によると、天保年間から存在するそうで、豊作に感謝して氏神様に奉納されたのが由来とのこと。

玉川村一帯で行われていた民俗芸能なので、場所によって若干の違いがあるようです。

天保年間は「江戸時代四大飢饉」に数えられる天保の大飢饉」が起こっており、東北地方もその被害が大きかったそうです。
大雨や洪水、それに伴う冷夏が起きて、稲作や耕作が厳しい人々は神に豊作を願い、平穏生活を感謝したのかもしれません。

「平鍬踊り」はこれまで何度か途絶えたことがあるそうですが、地元の方の協力により、その存在をなんとか現在まで受け継がれています。

平鍬踊りを見に行くには

場所は大雷神社です。(本記事に掲載の写真は須釜神社で行われていたものです)

  • 住所:〒963-6312 福島県石川郡玉川村小高西屋敷119
  • 駐車場:あり

【まとめ】福島県玉川村に伝わる平鍬踊りとは?どんな踊り?内容や参加方法を徹底解説

福島県石川郡玉川村で行われる「平鍬踊り」について改めて詳しく調べてみました。

玉川村の中でも「平鍬踊り」のルーツが複数あるようで、竜崎地区では鎌倉時代から、小高地区では江戸時代から…遡れば竜崎地区の方が歴史が深く俄然興味が湧きました。

最近では新型コロナウィルスなどの影響で行われていないようですが、ぜひ見てみたいお祭りです。最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事を書くにあたって参考にさせていただいた文献やHPは以下のとおりです。

玉川村観光物産協会(http://tamakawa-kanko.jp/watch/01.html)
文献:玉川村公民館(1990年)『玉川の文化財』高橋孔版社

コメント

タイトルとURLをコピーしました