福島県石川郡玉川村では毎年秋に「浦安の舞」が村内の神社で行われています。
この記事では「浦安の舞」の由来、開催時期、開催場所などについて詳しく解説していきます!
「浦安の舞(うらやすのまい)」とは?
「1940年の皇紀2600年祝典の時に作られた神事舞で、川辺八幡神社、大雷神社にそれぞれ奉納され、巫女の衣装の少女たちが鈴と扇を手に優雅に舞います。
浦安の舞はいつ開催されているのか?
毎年秋に行われます。大雷神社では「平鍬踊り」と一緒に行われていたそうです。
浦安の舞はどんな舞?
昭和天皇が歌会始で読まれた歌に宮内省楽部 多忠朝が作曲し舞をつけたのが「浦安の舞」になります。
「天地の神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波立たぬ世を」
1940年(昭和15年)は人類史上最大の死傷者を生んだ第二次世界大戦中ということもあり、昭和天皇の歌も相まって「浦安の舞」は平和を祈る舞と考えられます。
楽器は神楽笛、篳篥、箏、太鼓を使用します。
装束は単、衵(あこめ)、小忌衣(おみごろも)、裳(も)、緋袴で構成され、扇舞で用いる檜扇を採物として手に取ります。
額には花簪若しくは前天冠を著け、髪は後ろで束ねて絵元結(熨斗紙・水引・丈長を組み合わせた装飾)を結ぶ。髪が短い場合は髢(かもじ)を付けます。
浦安の舞の歴史
1940年(昭和15年)が神武天皇が即位してから2600年に当たることから、日本政府は1935年(昭和10年)に当時の内閣総理大臣岡田啓介を会長とする「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念行事を計画・推進したそうです。
同年に開かれる「皇紀2600年奉祝会」に奉奏に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭行うにあたり、神楽舞を新たに作成することが立案され、作られたのが「浦安の舞」の始まりです。
同年、全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会、体育大会など様々な記念行事が全国各地で催されました。(Wikipedia)
おそらく、この流れを汲んで玉川村でも川辺八幡神社、大雷神社で祭事が行われ「浦安の舞」が奉納されたのではないかと推察されます。
浦安の舞を見に行くには
場所は大雷神社、川辺八幡神社で行われています。
大雷神社
- 住所:〒963-6312 福島県石川郡玉川村小高西屋敷119
- 駐車場:あり
川辺八幡神社
- 住所:〒963-6313 福島県石川郡玉川村川辺宮ノ前148-1
- 駐車場:数台あり
【まとめ】福島県玉川村に伝わる浦安の舞の由来や内容、参加方法を徹底解説
福島県石川郡玉川村で行われる「浦安の舞」について改めて詳しく調べてみました。
昭和に始まった祭事ということで歴史はそれほど深くないですが、込められた思いがとても深い舞だということがわかりました。
開催される際には必ず見学に行きたいと思います!最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事を書くにあたって参考にさせていただいた文献やHPは以下のとおりです。
玉川村観光物産協会(http://tamakawa-kanko.jp/watch/03.html)
香川県三木町役場HP(https://www.town.miki.lg.jp/life/dtl.php?hdnKey=6307)
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